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"Soseki Natsume 'I Am A Cat'" by Debs (ò‿ó)♪ is licensed under CC BY 2.0

夏目漱石の『吾輩は猫である』は明治文学の名作として日本では広く知られた作品です。
外国語にも翻訳されており、海外の掲示板で語り合っていました。

引用元:reddit.com

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●投稿主
夏目漱石の『吾輩は猫である』が大好き。
今はこれが日本文学の古典であることを知ってるけどたまたま本屋のテーブルにあるのを見かけた時は聞いたこともない題名だった。
半分まで読んだことだけど今まで読んだどの本よりもくすくす笑っている。
(コメディはそんなに読んでる方ではないけど)
面白いのはこれが1905~1906年に書かれていること。
あとここしばらく読んだ中で一番長い小説にもなる。
凄く気持ちのいい作品だから読み終わるのが惜しいくらい。
なんというか、凄くありふれた内容なところが好き。
まるで自分が退屈してるプライドの高い猫になって家の愚痴を聞かされてる気分になってくる。
運よく出会ったけど誰にも紹介できずにいるから誰かと共有したくて。
(母親には話した)
みんなはこの作品についてどう思う?
この作者の書き方が凄く好きになったから他の著作もチェックしてみるつもり。

●comment
同意する。
人生のどん底の時にこの本に出会った。
笑って、泣いて、人間はなんて愚かなんだと腹を立てもした。
名作だね。
突然の喪失、独特の言い回し、とにかく美しい作品だ。

●comment
読んでいると人間の生活に深く入り込みすぎて猫の存在が消えていくのを感じた。
他にもそう感じた人はいないかな。

●投稿主
↑確かに自分もそれは思った!
作中でも猫自身が”猫の生活ではなく人間について語ろう”と述べている部分もあって”ちょっと待って、自分はもっと猫の生活のことを知りたいんだけど”と思った。
だから確かにこの作品は人についての描写にシフトしていく部分があるね。
でもその頃には登場人物に愛着がわいてきてたから猫の目を通した人々の暮らしを描いて猫の生活自体は断片的になっていったのは凄く良かった。

●comment
去年のクリスマスプレゼントでもらったばかり!
可愛い猫だよね。

●comment
この作者のことはゲーム『大逆転裁判』で知った。
嬉しいアクシデントだったね。

●comment
昨日本屋に寄ってたまたま見かけて買ったところ。
読むのが楽しみ!

●comment
不思議な古典文学も猫も好きだから読書予定リストに入れておく!
コンセプトはE.T.A.ホフマン(※ドイツの文学者)の『牡猫ムルの人生観』に似てるね。
こちらも猫がナレーションをしている(ある意味)不思議な古典だよ。

●comment
是非読み終えるべき。
更に複雑でダークな展開になっていくぞ。

●comment
良いレビューだった!
自分もまだ読み終えてないけど夏目漱石は大好きな作家で特に『こころ』が好き。
『坊ちゃん』と『三四郎』も良い作品だね。
お勧めだよ!

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同じ作家の『こころ』を読んでほしい。
『吾輩は猫である』とは趣が違うけど好きな本なんだ。

●comment
夏目漱石は本当に素晴らしい文学者だ!
メランコリーな内容が多いけど書き方が流麗だから読んでいると慰みを感じる。
『吾輩は猫である』は『こころ』よりもコメディ寄りだけど漱石の書き方が好きなら他の作品にも手を出すことをお勧めするよ。
素晴らしい作家だからね。
自分は大学で彼の作品を日本語で読んだ(大変だった)けど日本語の使い方が魅力的だった。

●投稿主
↑それは凄いね。
自分も元の言語で読んでみたい。
それから他の作品も読んでみるつもりだよ。

●comment
↑映画化もされた『夢十夜』も良いよ。
題名から想像できる通り断片的な10の短編から出来てるんだけど美しくも恐ろしく、読後感のある作品だ。
ちょっと漱石の作品を読み返したくなってきた。

●comment
有川浩の『旅猫リポート』も良い作品だよ。

●投稿主
↑お勧めありがとう!
チェックしてみる。

●comment
↑映画化もされてるよ。

●comment
『吾輩は猫である』と『坊ちゃん』は漱石の作品の中でも軽い文体だね。
『三四郎』、『それから』、『こころ』はもっと暗い。
作家自身に興味があるならジョン・ネイスン(※アメリカの日本研究家:wikipedia)の『Soseki: Modern Japan's Greatest Novelist』もお勧めだよ。
彼の生涯と作品の分析を上手く書いてる。
彼の作品をより理解する助けになると思う。

●comment
自分も読んでるところだけど楽しい内容だね。
日本文学は時代を超えたものがあると思う。
特に面白かったのは作中に出てくる3人の会話が自分と友達の会話そっくりだったこと。
日本文学は大好きだから何度も行ったり来たりしながらゆっくり読んでる。
なんか登場人物と一緒に人生を散歩しているような気分になる。

●投稿主
↑その通り!
散歩するというのはまさに自分が感じたことを上手く言い表してるね。

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この本の特にいい部分は題名なんだよね。
残念ながら英訳版は英語の制限上それを上手く伝えきってない。
(ということで出来る限り説明してみよう)

日本語のタイトルである『吾輩は猫である』は英語に訳すと”I am a Cat”になるけどこれでは内容を完璧に無視してしまっている。
日本語の”吾輩”は英語の”I”という意味だけど普通の”I”ではないんだ。
日本語だと他者と話す時の自分の呼び方にすら複数の言い方やレベルがある。
”吾輩”は他の人に傲慢に話す時に使われる。
普通だと”私”を使うけど”吾輩”は自分が格上で相手を見下す場合に使われるんだ。
これは中世ヨーロッパで王が自らを表す時に”I”ではなく”Us”を使っていたのとよく似ている。
現代日本で自分を表すのに”吾輩”を使う人はほとんどいない。
でもこの本の題名では猫が自分のことを”吾輩”と呼んでいる。
これで読者は”吾輩”と自称する猫がどういう性格なのかすぐに察することができるんだ。
更に”猫です”ではなく”猫である”にしている。
これは格式ばった話し方であり、これでこの猫が自分のことを人間よりも上の存在とみなしていると印象付けている。
(猫だから当然だ。これは正しい)
だから題名の時点で風刺であるとわかるようになってる。

言語としての英語は文法的にも構造的にも日本語とはほぼ正反対だから日本の作品を正確に伝えるのは難しい。
翻訳者のスキルに関わらず翻訳すると原文よりも杓子定規で読みにくい印象になってしまう。
(これは抒情的な作品や詩で特に顕著になる)
これは日本語の単語や表現には英訳できないものがたくさんあるから。
自分はベンガル語に翻訳された国木田独歩の詩を読んだことがある。
ベンガル語は英語に比べると日本語により近い言語だから詩に込められた感情をより伝えてはいたけどそれでも完全ではなかった。
『吾輩は猫である』も英訳する際に言語の違いからキーとなる特定の表現を犠牲にしている部分があるね。

●投稿主
↑教えてくれてありがとう。
自分は作中の猫の行動が凄く好きだからそう言われると更に納得できるね。
自分も原文で読んでみたい。
英語にする際にどこが変更されてどこが失われているのか気になってるから。
でも翻訳者への尊敬も大きくなった。
美しく書かれた文章をスタイルや感情、作者の込めたかった内容を維持しながら全く別の言語にしてみせてるんだからね。
残念ながら完全に抽出はされてないけど素晴らしい内容だったから良い仕事をしてると思う。

●comment
面白いね。
高校時代に夏を日本で過ごしたことがあってその時にホストファミリーがこの本をくれた(英訳版)。
楽しい本だったけど題名のニュアンスにそんな違いがあるとは知らなかった。
作者の意図を組むなら王族が自分たちを呼称するときに”his/her/your royal highness”と使っていたように”My Feline Highness”にした方が近いのかな。

●comment
>残念ながら英訳版は英語の制限上それを上手く伝えきってない。
英語から日本語に翻訳されたものは読んだことある?
こっちでも翻訳の際にニュアンスが変わってしまうものがあるのか興味ある。

●comment
↑いくつか読んだことあるけどやっぱり同じ問題はあるね。
表現やニュアンスは別言語には訳せないものがある。
翻訳者は文学的なアプローチをしないとそういった表現やニュアンスは失われてしまう。
あるいは翻訳の正確さを犠牲にして訳する言語で似たような構造のものを取り入れるか。

でも名作であってもそういうことが問題にならない場合もある。
例えば宮部みゆきは素晴らしい作品を書いてるけど文体は詩的ではない(彼女の作品は殺人事件を中心に組み立てられていることが多い)から訳も良いものになることが多い。
村上春樹の書き方も翻訳に向いてる。

ただし詩は事実上翻訳するのはほぼ不可能だと思う。
翻訳者は訳する言語で新しく詩を書かなきゃいけないようなものだから。

●comment
>>残念ながら英訳版は英語の制限上それを上手く伝えきってない。
>英語から日本語に翻訳されたものは読んだことある?
そういった本は読んだことがないけど日本語学習の過程で何度も英文を日本語に訳したことがある。
で、日本語として形になった書き方をしなくちゃいけないから必ずしも正しく訳せるわけではないんだ。

でも英語に訳せない日本語が幾つもあるから難解さでは日本語→英語の方が上だと思う。
例えば”ごめんね!ケーキを全部食べちゃった”を英語に訳してみよう。
日本語の文法構造を維持すると”sorry! I ate all the cake.”になるけど、これだと意味を半分しか伝えていなくて文脈の一部を完全に無視してる。
”食べちゃった”の”ちゃった”には後悔が含まれているんだ。
(あるいはこの場合だとしてしまったことに対する容認)
完全ではないにしてもより正確に英訳するなら”sorry! I ended up eating all the cake"になるだろうな。
これなら日本語の文章の感覚に近くなると思う。
ちなみにこの日本語の文章をベンガル語に訳すると”দুঃখিত, আমি পুরো কেকটাই খেয়ে ফেলেছি।(Duhkkhito, ami puro kektai kheye phelechhi)”になる。
この”phelechhi”は日本語の”ちゃった”と同じ意味合いを持つ。
こういう日本語とベンガル語にはあって英語にはない文法上の類似性は他にもある。
なので英語から日本語への翻訳はまだそこまで不自然にはならないと思う。

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夏目漱石って実在の人物をモデルにしてたんだ。
『大逆転裁判』でしか知らなかった。

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今は夏川草介の『本を守ろうとする猫の話』を読んでる。

●comment
昨日から読み始めて1巻を読み終えたところ。
凄く楽しい本だね。
夏目漱石はドラマとコメディを容易くミックスさせてる。
『坊ちゃん』も似たようなスタイルだよ。
去年は『こころ』を読み終わったけどゆっくりと好きな本になってきてる。

●comment
面白そう。
教えてくれてありがとう!

●comment
初めて聞いたけど自分にピッタリな本みたいだ。
お勧めありがとう!

●comment
この本の中で好きな一節。
>吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。







100年以上前の作品ですが今でも日本のみならず世界中で愛されています。
日本語、特に明治時代の文体を外国語に翻訳するのは並々ならぬ苦労がありそうです。





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